戯曲 西行のゆくへ(連載中)「平家物語」第八局 一人芝居 小説「西行物語」今田 東 より 西行のゆくえ・・・ 吉馴 悠 西行法師の人となりを、 円位上人の仏使としての、 西行を師と仰ぎその行く道を見詰めてきた男、藤原秋実 (ふじわらあきざね)が語る。 一夜の西行物語・・・ 語る場所と人となり、 嵯峨の小倉山の秋実の庵にて回想する場面が。櫻の樹 が、月が、物語の効果として情景として適撰に使われ る。 西行の乳母の葛の葉(蓮照の尼)、 西行を友となす寂然しかり、 待賢門院の女房であった堀河の尼、 鳥羽院の北面の武士としての同僚平清盛、 歌で政を変える、人の心をもと崇徳新院、西行その人、 物語に出てくるその人達の住まい。以下の住まいは、秋 実の草庵にダブル時がある。 語りは各地を巡る。 西行法師の円寂の地、南河内國は葛城山の西麓弘川寺の 境内にある西行の草庵 紀ノ川の畔の田仲の庄の佐藤の館 大原の里にある寂然(じゃくねん)の庵 西山の麓にある堀河の尼の庵 殿上人平清盛の館 崇徳が流された讃岐の國は直島 嵯峨の小倉山の秋実の草庵 情景 弘川寺にある西行の草庵という風に設定されるが場面は 常に以下の照明の変化で物語は進行する。前記の場所が 出現するはずである。 真っ暗の中に一本の櫻がライトアップされている。 藤原秋実が明かりの中に浮かび上がる。 序 弘川寺の草庵 秋実 お師匠、何ぞ御座いましたか。先程から何やら譫言で・・・。何ぞ良い夢でも見られましたかな。 はい、藤原秋実で御座います。・・・京より病気見舞いにまいりましてそのまま・・・お側に・・・。 昼間は弘川寺の本堂に座りましてご快癒を願って経文を書写いたしておりました。 櫻はまだかとの・・・。はい、この京よりは暖かい河内でも櫻の訪れはまだ・・・。 南河内の國は葛城の西麓にありますこのいおり、厳しい冬の日々も終わりを告げてようやく冬芽が綻びて参りました。山の匂いが快く胸に沁みわたりまする。春の気配がそこまで・・・。ですから、もうすぐに、この地にも・・・。 お師匠がかつて庵を構えておられました、善通寺の庵、吉野、二見が浦、奥嵯峨、北山へと櫻の開花は登りましょう。 早ように善くなられて櫻を求めての旅を・・・。そのお供を秋実はいたしとう御座います。 ああ、先程、良き報せが・・・。 慈円どのの撰による「拾玉集」の中にお師匠の歌を入れさせてほしいとの嬉しい頼りが御座いました 。これを機に病もきっと良くなるの兆しで御座いましょう。 はい、慈円どのが選ばれました。間違いは御座いません。少し頬が緩みましたな、そのようなお顔を拝見いたしますは昨年の今頃、奥嵯峨の庵でお目にかかって以来でございます。 この秋実は、お師匠が能因法師(いんのうほうし)に憧れて歩まれた陸奥(みちのく)の國への道程(みちのり)を辿られたように、この私も同じ道を歩むことで少しでもそのお心に近ずかんが為・・・。あのようにして優雅な歌枕うたまくら)がどこにあるのか知りたくて・・・。同じ道を辿れども心の内に湧いて参りませぬ・・・素養、天分の差・・・。我が身のいたらなさを知り落胆の極み・・・。逃げるように、お師匠様のもとへ・・・。 今、お師匠の歌が「拾玉集」に入られたと聞き、我が事のように嬉しくて・・・。 小倉山の秋実の草庵 私が、お師匠、西行様に初めてお目にかかったのは・・・。 十三歳の折り保元の内乱、十六歳の折り平時の内乱とたて続きに国政は乱れ、人心もまたその例外では御座いませんでしたが・・・。 崇徳新院が重仁親王(しげひとしんのう)を即位させようとしていたのを後白河の帝へ・・・その遺恨が元で・・・。関白忠為と美福門院(びふくもんいん)との争いでのこと・・・。それを、保元の内乱と・・・。 時の勢力を二分しての・・・ 崇徳新院には、左大臣藤原頼長、源為朝・・・。 後白河の帝には、関白藤原忠通、美福門院、源義朝、平清盛・・・。 西行様は寂然様と崇徳新院のご安否をきずかわれての駆け引き・・・。 西行様の表にいですの折衝は、人ずてで後に伺うことになります。崇徳新院への想いは、歌が取り持つ縁だけであったのでしょうか。 愛された待賢門院(たいけんもんいん)様の面影を色濃く残される面差しに心残されての想いもあったのではなかったか。 待賢門院様の兄の右大臣徳大寺実能(とくだいじさねさだ)はどちらへも動きませんでした。 平治のの内乱は・・・。私が十六歳の時・・・。 平清盛と源義朝の勢力争い・・・。清盛が義朝を名古屋へ攻め込み打ち払い・・・。 この戦いでようやく平安が訪れるのでございました。 それらの争いが終わったしばし後に・・・。 長楽寺で徳大寺実定殿や上西門院統子(じょうさいもんいんよりこ)と兵衛の局もおいでの時に西行様に・・・。 西行様は、背が高く、がっちりとした体躯、双眸は飽くまで澄み渡り、慈悲の輝きが・・・。 頬は反り取ったように顎に流れ、生活がどのように困窮していても、それより何が大切かを感じ取らせる風貌、墨衣(すみころも)がその身によう馴染んでおられました。 その前にたつと、金縛りのように身動きが取れなくなり、身を小さくして茫然と立つだけでした。 大きな身体がより大きく私に威圧感を与えておりました。これほどの御仁に逢うのは初めて、歌びととしまして名声はこの國にとどめておられましたが、たかが、歌びととの認識を打ち壊され、その偉大さに我が身のいたらなさを感じさせられるのでございました。 「何もかも、運命として生きる。それほど強い生き方はこの世にあろう筈もありません。自然に、その流れに沿って生きるのです。流されるのでのうて、自らがながれるのです」 西行様は、私を一瞥して感じ取られたのか、そのようにお声を掛けてくださりました。 朝廷の中で出世だけが望み、そう考える若者に人として生まれ生き行くには物事に拘らず、唯生きよと私に言ってくださったのでございます。 確か、佐藤義清(さとおのりきよ)殿が出家したのは、私と同じ年ごろと聞き及んでおりましたが・・・。 この時、私の師は西行様をおいて外にないと思ったのでございます。 人の出会いの不思議、縁の妙を強く感じたことは御座いません。 西行様が、今に至る迄の経緯は・・・。 その道程を辿ることで師に近づこうと・・・。 法名円位上人様、歌人西行法師様、北面の武士佐藤義清様、幼名紀清丸様・・・。 紀ノ川の東の広がる肥沃の平野が、西行様のお父上が預かった田仲の庄・・・。気候は飽くまで温暖で四季の恵みは人の心を穏やかに育み、安堵な日々が続いておりました。紀ノ川を見渡せる館には父の康清と母のみゆきの前、それらの優しい眼差しに中で大きくなりました。 康清は京へ出所しており、みゆきの前の屈託のない明るさのなかで、乳母の葛の葉に育てられたのでございます。 平穏は人の世の運命、永遠に続くことはなく、義清様が八歳の折り父の康清は眼を閉じられた。 弟の仲清と義清が後に残され、母のみゆきの前が後を引き継ぐという運命を負うのでございました。 紀ノ川を見下ろす館は高台にあり外堀に囲まれ野党への警固の為に侍を見張りに立たておりました。 ジャンル別一覧
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